「最貧困女子」という本を読み、格差社会や社会の分断について考える

ここ数年、個人的に関心を持っていることがある。それは「格差社会とそれに伴う社会の分断、階層社会」などである。なぜなら、日本よりも格差が大きな国に住んでいたことがあるからだ。以下、長くなってしまうが、まじめに書いてみる。

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日本よりも格差のある国々

その国は最近、発言やTwitterのツイート、そして一挙手一投足までもが日本のメディアにまで取り上げられる大統領のいる国だ。これを読んで下さった方も容易に想像がつくであろう。

その国で私が目にしたものは、日本よりも明確な格差社会だ。例えば、スーパーマーケットに関して。富裕層と貧困層では行くところがまず違う。

富裕層から中間層はWhole FoodsやTrader Joe'sなどのオーガニック食材の多い食料品店に多い。一方、いわゆる「貧困層」と思われる層はWalmartなどの値段の安いところで多く見られた。客層が明らかに違うことが、見た目や行動、購入しているもので容易に分かることを今でも鮮明に記憶している。

そして、更に格差が大きそうだと思ったのは、前述の国と国境を接した南にある国だ。

旅行でその国の首都の富裕層が多く住むエリアに滞在したことがあるのだが、生まれて初めて見た光景をきっと一生忘れることはない。

それは、おしゃれなオープンテラスのレストラン街。夕方早い時間に白人の方たちがワイン片手に食事を楽しむその目の前の歩道で、小さな子どもたちが物乞いをしていた。そんな景色は今まで見たことがなかった。

一見、日本でいうなら都内の代官山とか青山などの景色と変わらないハイソなエリアなのだが、明らかに悪い意味で子どもたちが浮いていた。目をふさぎたくなるような残酷な光景であった。

日本の格差社会の現状は?

一方、日本の場合はどうか。恐らく格差は存在するだろう。私個人の話ではあるが、お金持ちな人の存在も身近に知っているし、貧しい人ももちろん知っている。

ただ、移民国家ではないことも影響するのか、もしくは、お金持ちは必ずしも派手ではないと聞いたことがあるからなのか、ぱっと見た目ではその人が富裕層なのか貧困層なのか判別がしづらい。

分かりやすい例えとして、富裕層でも値段と品質のバランスが良いユニクロを着ている方がいるであろうし(私の知り合いがそう)、貧困層かもしれない人、もしくは若者が一点豪華主義のようにブランド物のバッグを持っていたりするので、見た目からは判別がしづらいのだ。(よくよく見ればわかるのだが)

その格差が広がっていると、ここ数年、いや、バブル崩壊以降ずっと?メディアを中心に報道されている。日本に住んでいない間も日本のニュースや報道番組を少しはチェックしてそれらの報道を見ていたのだが、果たして格差が広がっているのは本当なのかと分からないでいた。

「最貧困女子」という書籍を読んでみた

そんな時、昨年2016年の暮れの頃であっただろうか。インターネットのある記事で私の目に飛び込んできたワード「最貧困女子」。貧困の最上級を表す「最」という言葉のインパクトたるや、私をくぎ付けにした。

その後、2014年に発行されたという「最貧困女子」という本を一心不乱に読み始めるまであまり時間はかからなかったように思う。

「最貧困女子」を書かれた鈴木大介さんはフリーのライターさんで、主に裏社会のルポ記事を多数書かれているよう。そんな彼が取材をする中で出会った多数の「最貧困女子」と呼ばれる方々のことを書籍にされたようだ。

「最貧困女子」とは書籍の中で、主にセックスワークに従事し、鈴木さん曰く「3つの縁」、「血縁」「地縁」「公的支援との縁」がない方々を指す。

「血縁」がないとは、幼いころから虐待等を受けた人が多く、親族に身寄りがないこと。

「地縁」がないとは、地元のつながりもない、もしくは地元の人々の多数が同じような貧困層に属する場合が多いこと。

「公的支援との縁」がないとは、警察やNPOなどの本来なら「保護」「支援」をしてくれるはずの組織・機関とのつながりがないこと。支援を差し伸べられても「親元に連れ戻される」などの恐怖心から、支援の手を放してしまうこと、を指すよう。

そんな「3つの縁」のない方々なので、精神的に病んでいる人も多いとのこと。自分がもしそうであれば、精神的に病まないはずはないと思う。

ちなみに、「マイルドヤンキー」と呼ばれる女性たちとは明確に異なるとのこと。彼女たちには「地縁」があって、助け合って生きている(しかも幸福度が高そう)、という点で「最貧困女子」とは異なるらしい。

そして、昨今では、性風俗業界でも競争が激しく、容姿がよくなければ生き残っていくことが出来なず、容姿に恵まれない女性が「最貧困」に陥ってしまう現状もあるとのこと。

著者である鈴木さんもその内容の悲惨さに目をふさぎたくなり、よい改善策は思い至らないようで、苦渋の提言をされていたように思う。ただ、その本そのものが社会的に意義のある本であると私は思った。「最貧困女子」という、メディアでもあまり取り上げられてこなかった方々の様子を克明に記したという点で、である。

「最貧困女子」を読んで考えたこと

読んだ後、どうしようもないくらいの徒労感に襲われた。決して読んで幸せな気持ちになる本ではない。ただ、読んだことに後悔は全くしていない。

なぜなら、「最貧困女子」のことを知ることができたから。別の確かテレビ番組で歌舞伎町にいる「最貧困女子」を取り上げたものをちらっと見たことがあるが、この本を読むまでは、自分もたまに飲みに行く新宿にそんな方々がいることなど想像がつかなかったのだ。見えていない、見ようとしないだけで、意外と身近にある問題なんだと思う。

と同時に、この本に登場する女性たちを救済する方法を見つけることの難しさを感じた。どうしたらいいかこれほどまでに分からない本も珍しい。救済する方法を考えるのも上から目線でおこがましいかな、とも思ったりしてしまう。

例えば、私がお金持ちであれば「最貧困女子」を救うための何らかの機関へ寄付をして、職業支援・生活支援などに寄与できたかもしれない。もしくは、虐待を受けた子どもの支援機関を作ったり、極論を言うと里親になることで、「最貧困女子」をこれ以上生み出さないことに貢献できるかもしれない。が、申し訳ないが、そんなお金も精神的な余裕もない。

「最貧困女子」のような人がこの日本で生きていることを認知すること、そしてその存在を広めることしか残念ながら今の私にはできない。何か手を差し伸べて助けることができればよいが、私には力不足だ。

ここからは個人的な思いにもなるが、格差は仕方がないと思っている。資本主義社会では起こり得るだろう。現に存在するものだから、まずは受け入れるしかない。格差の是正を願う気持ちはあるが、財政難と言われている国や政府、そして政治家の方々ばかりにその責任を押し付けていいものなのかも私には分からない。

格差を受け入れたうえで、それぞれ一人一人が自分の社会的に置かれた立場を認識し、自分の持ち場で少しでも社会や自分の生活がよくなるようにと考え、必死で生きるしかない。そして、一人ひとりが日々の小さな幸せを探し、感じ、それを糧に生きていくしかないのではないか。私は、中間層らしく必死にかつ明るく、やるべきことをやって(=働いて納税してお金を貯めて備えて)生き抜いていこうと思った。

それに加え、「最貧困女子」のような、異なるバックグラウンドを持つ人のことを理解しようとする姿勢を持たなければならないと思った。それがなければ、きっと社会の分断が進んでしまう。社会の分断が進んだ結果、今の欧米諸国のようになってしまうのではないか。その点を最も危惧しているのである。

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